西谷監督ラジオで語った真実
第100回夏の甲子園で優勝した大阪桐蔭高校野球部の西谷浩一監督がABCラジオ「伊藤史隆のラジオノオト」2018年12月6日(木)に出演した。インタビューは大阪桐蔭高校で行われた。
インタビュー全文書き起こしは以下。
夏の甲子園での「初めて明かされた事実」、西谷監督から見た人間・根尾昂、藤原恭大など、濃密なインタビュー。ぜひ、全文ご覧ください。
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ラジオ全文書き起こし
西谷監督へのインタビュー前
【伊藤】名刺を交換するじゃないですか、よろしくお願いしますと。「大阪桐蔭高校 社会科教諭 西谷浩一」と。
【小林】学校の先生なんですか?
【伊藤】学校の先生なんです。
【小林】いろいろいらっしゃるじゃないですか。非常勤であったり、守衛さんの立場の方だったり。いろんな方がいらっしゃいますが。
【伊藤】実はこのあとのインタビューでこの話も出てまいりますが。
【小林】しかも体育じゃないんですか?
【伊藤】社会科の先生でいらっしゃる。インタビューをさせてくださいとお願いしたら、インタビューした昨日(前日)は授業が空いていますと。でしたらインタビュー受けられますよということでお邪魔してまいりました。この春と夏…あんな選手もこんな選手もいるじゃないですか。どんなことだったんですかと、じっくりとお話しを伺いました。
【小林】まとめるの大変だったんじゃないですか?
【伊藤】学校でお話しを聞きましたので、このあと、「学校ならでは」の音も出てまいりますので、そんなリアル感も一つお楽しみに。では、西谷浩一監督へのインタビューをお聞きいただきます。(ここからインタビュー開始)
西谷監督へのインタビュー
【伊藤】では、西谷監督、よろしくお願いいたします。
【西谷】こちらこそよろしくお願いいたします。
【伊藤】以前、私大阪桐蔭高校にお邪魔したこともあるのですが、改めてお邪魔しますと、まぁ立派な学校で。
【西谷】そうですね、綺麗な学校だと思います。
【伊藤】当然といえば当然なのですが、西谷監督は学校の先生でいらっしゃいますので、今日は紺色のスーツで、水色のお洒落なネクタイを。
【西谷】いえいえいえ、はい、普段はこんな感じです。
【伊藤】普通といったら失礼ですけど、授業をされたり。
【西谷】はい、持ってますよ。
【伊藤】週に何時間くらい?
【西谷】何時間かあります。
【伊藤】普通に。
【西谷】あります。
【伊藤】へぇ、それが終わってから野球を。
【西谷】そうです、はい。
【伊藤】改めましてなんですが、今年、春夏連覇おめでとうございます。
【西谷】ありがとうございます。
【伊藤】球場でお話しを伺っていましても、これは我々にしかできないことなのだから、思いっきってやろうよと。
【西谷】そうですね。
【伊藤】ずっとおっしゃっていたんですけれども。
【西谷】せっかくのチャンスだったので、まあ、あのー、思い切ってやりたいなというのはありました、はい。
【伊藤】とは言うものの、今だからいえるじゃないですけど、監督ご自身のプレッシャー、選手たちの日々の動きなんていうのは実際どんなものだったんですか。
【西谷】そうですねぇ、なんかこう、入学した時から「最強世代」みたいな形で、今のネットのなんというんですか、虚像じゃないですけれども、岐阜県から根尾が来るんだ、とか、そういう選手が集まっているんだみたいな感じで、100回大会にむけて、非常にこう宣伝していただきまして(笑)。ありがたいのか、やりにくいのかということもありまして。
【西谷】去年というか前チームから試合に出るチャンスに恵まれた子が多くて、春優勝して、夏、ああいう残酷的な負け方になりましたので。そのストーリーから、また今年という風に、なんかこう繋がっていたような感じでしたので。皆さんも100回大会に向けての盛り上がりと、下級生から試合に出てる子の3年間を見届ける。そして2年生のときの夏の大会の、ああいう残酷的な負け方からどうなったかという、いろんなものがかみ合っての今年一年だったような気がします。はい。
【伊藤】それは、西谷監督の20年を超える監督・教員生活の中で、特別な一年でしたか?
【西谷】そうですね、個人的には、例えば、中田翔であったり、藤浪・森であったり、そういう注目してもらった年はありましたけども、チームとして取り上げてというか、3年間でいいますと、一番注目していただいた感じは、これも100回大会と合わせてだと思うんですけど、あります。
【伊藤】それこそ中学生である根尾さんであったり、藤原さんであったり、柿木さんであったり、実際に大阪桐蔭に来ないかという話をしに行かれた時に、それはいい選手になるだろうなと思われましたですか?
【西谷】そうですね。素質があるなと、こういう子がどう育つかなという風なワクワクした気持ちと、そういう子を預かる責任感と、両方ありましたけれども、有望な選手が集まったというのはありました。
【伊藤】よく高校野球がお好きな方、ある方なんかからは、大阪桐蔭の西谷先生がいけば、みんなそりゃ大阪桐蔭行きますよ、なんという言い方をする方もいらっしゃるんですが(笑)。
【西谷】そんなことありません(笑)。はい。そんなことはないんですけれども、体がおっきいので、どこに行っても目立ちますので、他の監督さんが行かれていても、西谷だけ行っているように言われるだけで、他の監督と特別動きが多いわけではないんですけれども、揶揄されることも含めまして、えー、ちょっと目立っているような感じだと思います。
【伊藤】そんな中ででも本当に有望な少年たちが実際、高校に入って、そのまましっかり力を伸ばしていくということは、できるようで難しいことだと思うんです。
【西谷】難しいことだと思います。
【伊藤】今年の三年生たち、彼らはどうだったわけなんですか?
【西谷】そうですねぇ、あの先ほど言いましたが、下級生から試合にでるチャンスに恵まれた子が多かったことと、あと性格的にも非常になんというんでしょう、負けず嫌いな子たちが多かったので。根尾が打てば藤原が打つ、藤原が打てば根尾が打つ、俺もまた打つんだと。みんながこうなんというんでしょう、ライバル心を持ってというか、そういう学年だったので、
【西谷】ピッチャーも同じく、柿木・横川といまして、で、そこに根尾も投げていくと。柿木や横川からすれば、野手も両方やっているピッチャーに負けたくないという気持ちはありますし、同じブルペンで投げてても、根尾はやはりピッチングとバッティングとあるので効率的によく練習しますので、逆に柿木なんかは、本当にブルペンで投げ込んで、根尾の何倍も投げてみたいな、そういったお互い練習の中からも生活の中からも刺激しあって、とにかく負けず嫌いな性格がいい方向にいったんじゃないかなと思います。
(写真:浦和学院戦で根尾・藤原がアベック弾)
【伊藤】それは彼らを勧誘して、入ってきた時点で、「お!彼らは負けず嫌いだぞ」というのはわかっていたのか、やっているうちにそれがどんどん伸びていった、その性格がひろがっていったのかというのはどうなんですか?
【西谷】両方ありますね、元来、元気な学年ではありました。私もちょうどその学年の担任も持っていますので、教室でもそうですし、非常に元気な学年ですし、明るさも持っていますし、自分たちを律する厳しさも持っていますので、非常にバランスのいい学年だったと思います。
【伊藤】根尾選手、これは本当に見ていて特別な才能を持った少年、青年だと思いますけれども、3年間じっくり付き合われて、西谷監督は彼はどんな選手で、どんな男だと思って付き合ってらっしゃいますか?
【西谷】非常に向上心があるというか、とにかく学ぶ欲というのがすごくあるというか、どんなことからでも何かを吸収しようと、いろんな人の話でもそうですし、よく言われる本を読むこともそうですし、授業中の先生の数学の授業であっても、何か数学の勉強だけでなく、何か野球につなげられないかというのもありますし、(ここで学校のチャイムが鳴る)、知的好奇心が旺盛というか、なかなか今までうちにはいなかったタイプです。
【伊藤】移動のバスなんかでもずっと本を読んでいるらしいですね。
【西谷】そうですね、特に下級生の時もそうですけれども、遠征に行きまして、行きはみんな音楽を聞いたりで、気持ちを高めたりしていく子が多いですけど、帰りはもう終わりましたのでね、バスに乗ったらもう1分くらいでみんな口開いて寝るんですけど。私たちが運転したり、前にいたりしても、パッと見たら根尾は本を読んでいますね。で、「何の本読んでるの?」って聞いたら、「あ、こんな感じで」っていって。それが普通になっていって、でも「もう寝たらいいぞ」というと、「はい」と言いながらもずっと本を読んでたりしていて、たまにパッと見て、根尾が寝ていたら、ちょっとほっとする、寝ていいんだぞという感じで。当たり前なんですけど、そんなふうに思うくらいの、時間をうまく使う子ですね。
【伊藤】高校3年間の根尾選手のゲームでの起用のされ方を見てますと、ピッチャーはもちろんですが、私たちの印象ですけど、わりに下級生の頃はあんまりピッチャーをやらずに外野手をおやりになって、しかもセンターを守ったりレフトを守ったりライトを守ったり、そして上級生になってショートをやって、ピッチャーをやってという感じでしたが、これは監督の中で計算はおありだったんですか?
【西谷】ありました。チームのことだけ考えましたら、1年の夏からピッチャーでバンバン行けたと思います。
【伊藤】1年の夏は彼はベンチに。
【西谷】入れました。ピッチャーということでしたら短いイニングを含めて、抑えれたと思いました。ただ、やはり私も将来のことを考えると、野手になるんじゃないかなというのがありましたので、最初からピッチャーピッチャーにしてしまうと、野手の練習がおろそかになりますし、体が強いとはいえ、やはり1年生から投げて、なんていうんでしょう、怪我があったりとかいうようなことが、ちょっとそこも怖かったので、三年生になるぐらいに、エースと同じだけの力になればいいなということで、ですから連投させたのは、私の記憶が間違っていなければ、間違っていませんけども、センバツの準決勝と決勝が初めてです。そこまでは連投させたことはなかったです。3年生になりましたので、もう十分体もできていたので、結果的に最後まで投げさせるつもりではなかったんですけど、最後まで投げましたんで、準決勝と決勝が初めての連投、高校に入って練習試合を含めても初めてだったと思います。
【伊藤】夏も本当に連投なんていうシーンはほとんどありませんでしたからね。
【西谷】そうですね、夏はそうなんですけども、夏はこううまく回していければと思ったんですけど、今でこそなんですけども、準々決勝の浦和学院のときにマメをつぶしまして。
【伊藤】そうなんですか。
【西谷】そうなんです。4回・5回の時にマメをつぶして、もうボールが血だらけだったので、そこに柿木にスイッチしまして、で、私たちの理想とするなら、準決勝は柿木でいって、決勝は根尾でいくというのが、順番的には、ローテーションじゃないですけど、あったんですけど、決勝はちょっと投げられなかったんです。で、野手の場合は、テーピングして出れますので、ピッチャーはテーピングできないので、ですから決勝の時は、朝までというか昼までというか、行くまで迷っていたんですけど、もうちょっと厳しそうだったので、柿木で行こうということで、根尾は野手ということで、ここはなかなか普段言えなかったんですけど、ちょっとそういうまめが潰れたということがありました。はい。
【伊藤】そんなことがあっても動揺せずにナインは堂々と春夏連覇を決勝戦で成し遂げたんですね。
【西谷】そうですね、柿木がしっかり投げてくれたんで、だから余計に根尾は自分が打たないといけないというのはどこにあったと思います。
【伊藤】打ちましたからね。
【西谷】打ちましたね。いいところで打ってくれました、はい。
【伊藤】もう一人、藤原という素晴らしい選手がいらっしゃる。彼は代々の大阪桐蔭の本当に身体能力に優れた多い中で、監督がご覧になってて、あの西岡さんであったり、森友哉さんであったりと比べたときには、どうなんですか。
【西谷】まず足はナンバーワンですね。
【伊藤】ナンバーワン?
【西谷】ナンバーワンです、はい。高校生の中では、かなりトップレベルだと、足は思いますね。バッティングに関しても、いいものを持っていますので、まあ、森とかね、いいバッターいましたけども、それに次いでいけるようなバッターだと思います、はい。
【伊藤】彼も負けず嫌いな?
【西谷】いやー、藤原は特に負けず嫌いですね。だからどうしてもマスコミ的に根尾根尾となるのが、やっぱり悔しいというのか、絶対負けたくないというのがすごくありますので、通算ホームランでも何本何本というのは、こう競い合っていたような感じがします。
(写真:浦和学院戦で根尾・藤原がアベック弾)
【伊藤】いい意味でですよ、ちょっと昔気質な野球選手はちょっとやんちゃで、っていう感じが彼には見えるかなという気はしたんです。
【西谷】あー、そうですねぇー、根尾と比べればそんな感じですけど、いや、本当に野球に関してはすごくストイックで、真面目な感じですね。根尾と好対照といえば好対照で、例えば夜練習が終わって、根尾はしっかり自分で練習すれば夜はほとんどストレッチしています。寮でですね、一時間くらいかけて、体をとにかくもう、そこまでやるかというくらい入念に体の手入れをします。
【西谷】藤原は、寮の室内練習場で、上は裸になって一時間くらいバットをブルンブルン振るような、ちょっとそこは昭和っぽいというか、そういう感じで。で、終わったらシャワーを浴びてパッと寝るというか、ちょっと体手入れした方がいいんじゃないかという話をしたりするぐらいで。でも、根尾はストレッチを入念にし、藤原はバットをガンガン振るという、そういう姿をチームメイトも後輩も見ているので、だいたい夜の10時から11時くらいなら、根尾さんはあそこでストレッチしているよという感じで、藤原はバット振っているみたいな。みんな、あそこにいればいるなというのができていたと思いますので。だから他の者も、あいつらがあれくらいするなら自分もやろうという感じにはなっていって、さっき言った負けず嫌いな学年がどんどんどんどん上がっていったような気はします。
【伊藤】それがあって春夏連覇。実際、監督の中では、できる!確信まではいかないかもしれませんが、このチームならいけると思われたのはいつくらいですか?
【西谷】もう、いけるっている確信は全くないです。ただ、毎日毎日言い続けました、もう。「春夏連覇、春夏連覇、日本一、日本一」ということを、嫌というほど言い続けましたので、ノートにも書きましたし、何にでも書いて、みんなが見えるところに貼ったり、しゃべったりということで(ここで学校のチャイムが鳴る)、暗示をかけるんじゃないですけど、「日本一になるんだ、日本一になるんだ」ということを言い続けて、まずは春の連覇というか、それができたら初めて去年できなかった春夏連覇にもう一回架け橋じゃないですけど、つながるんだと。とにかく春日本一になろうというで、1日の練習の中で何回日本一という言葉を使うかというぐらい、意図して使っていくようにしました。
(写真:大阪桐蔭野球部ノート)
【伊藤】高校生に対する指導で「プレッシャーをかけるな」なんていう指導法がわりに主流になりつつありますけど、あえてそれをおやりになった。
【西谷】毎日プレッシャーをかけまくっている感じしたね。全てのことを「日本一の物差しで測ろう」ということを言っていたので、このキャッチボールを終わった時にこのキャッチボールが果たして日本一のキャッチボールだったのか、シートノック、これが日本一になるための準備のシートノックなのか、ピッチングもそうバッティングもそうトレーニングもそう、全部を「日本一」っていうので測っていって、足りないところをどうしようということを言っていたので、もうそういう言葉は、私が言うよりもキャプテン(中川卓也)が厳しいので。はい(笑)、キャプテンがガンガン言うようなチームでしたね。だから日本一という言葉はたぶんなれるなれないは別にして、たぶん全国の中で一番回数は多く言っているくらいのことはあると思います、はい。
(ここまで)
インタビュー後のこぼれ話
【伊藤】西谷監督が「ここだけの話ですけどね」とおっしゃってて、「なんですか?」と聞いたら、「根尾が相談に来たんです」と。進路についての相談は自分でこなかったんですって。誰に言われなくても僕はプロに行きます!と。監督がちょっとアドバイスしようかなという前に彼は決めていたんですって。それについてはそれでいいじゃないかと。ところがこの後が面白いんです。(根尾)「監督、監督」 (西谷)「なんだ」 (根尾)「僕は二刀流で行くつもりはないんです」と。
【小林】おおそうなんですね。
【伊藤】はい。(根尾)「あんまり早く言いすぎると、中日球団とかマスコミの方とかに失礼だったりしないですかね」
【小林】どんな!!そこまで考える高校生います?言わないほうがいいってことですか。
【伊藤】だからしばらくは伏せておいた方がいいのですかというから、西谷監督は「お前がそのくらい考えるんだったら、それは時期が来たら自分の口から言ったらいいんじゃないか」って。
【小林】えー、素晴らしい。
【伊藤】根尾選手は、こういう風に気を配ったらいいんですかって聞きに来たっていうんです。
【小林】これが今の時代のアスリートなんですかね。素晴らしいです、自分の思いをしっかり口に出せるような考えが。
【伊藤】それが大阪桐蔭の指導の仕方であり、野球部の雰囲気が、もともと根尾昂という青年は自分をしっかり持った青年なんでしょうけれど、それができて、だからこそ甲子園であれだけ戦えるチームであるということで。
(ここで嵐「夏疾風」がラジオで流れる)
▶︎【後編・全文】大阪桐蔭 西谷監督がラジオで語る|メンバー外の選手の力
ABCラジオ「伊藤史隆のラジオノオト」
12月6日(木) 18:00-21:00放送
パーソナリティ 伊藤史隆
パートナー 小林祐梨子
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