山梨学院 垣越建伸、中日が5位指名!
<11月10日>中日はドラフト5位指名した垣越建伸と契約金3000万円、年俸550万円で仮契約。(金額は推定)
「名前を書いてハンを押して。以前より実感がわきました」と垣越。同席した両親からユニホームをあてがわれると、照れ笑い。契約ではこれまで経験のない金額の書類を目にしたが「欲しいものは全くない。何か親孝行できたらいいかなと思っています」と話した。
2019年頭インタビュー|スポーツ報知から
―7日からいよいよ新人合同自主トレが始まる。
「体作りをしながら、投球動作を改めて細かく見直すなどしています。まずは自分が持っているものを出せるよう、しっかり準備をしていきたいです」
―野球を始めたきっかけは?
「小3です。最初は捕手とかいろいろやってました。(自分と同じ)左利き用のミットがチームにあって。6年生くらいに捕手をしてくれる子が出て、そこから投手に専念しました」
―中学で根尾とチームメートになった。
「中学校は別々。自分が高山市であっち(根尾)が飛騨市。中間くらいにチームの拠点がありました」
―出会いの印象は?
「小学校の時に1回だけ対戦したことがありました。その時のことはしっかり記憶しています。最初に三振をとって、次の打席に昂がセンター前にヒット。エラーがあってランニングホームランになったんです。実は中学校の野球部に入ろうと思っていたんですが、ボーイズの人から『昂が入るからどうだ?』と。その時に考えを変えました」
―甲子園で再会した。
「大阪桐蔭のユニホームを着ている昂には、王者の雰囲気が漂ってました。もともと存在感はありましたが、ボーイズのチーム自体そんなに強くなかった。強豪の大阪桐蔭で、さらに際立っている選手になってて、すごいなと感じました」
―山梨学院には根尾と一緒に見学に来た。甲府の印象は?
「高山とそんなに変わらない印象でした。飲食店は多少多かったけど、周りが山に囲まれていて」
―高校3年間で最も成長したと感じる部分は?
「元々かなりサボリ癖があったんです。でも今は強制されてもポジティブに『やらせてもらえる』と考えられる。強制的な練習でも乗り越えられるようになったかなと思います」
―3年間の高校生活も楽しんだ。得意科目は?。
「日本史です。元々好きだったので。戦国時代とかガッツリ好きですね。知っていると授業でちょっと楽になったり。物事を知る、ということは好きなんです。いろんな方の話を聞くのも好きです」
―改めて山梨での生活を振り返って。
「この(プロの)世界まできちゃうと、1つの間違いで全部ダメになる。高校野球と違ってチャンスが何度もあるわけじゃない。一球一球大切に、雑にはできないなと思います」
―現在は直球が最高146キロ。プロ野球選手として、150キロへの意識は?
「いろんな練習をして、結果的にスピードが上がった、というのがベスト。体が硬かったのでほぐしたら2キロ上がった経験があるので。球速は投げて上がるものでなく、自分の体を理解して投げて出るもの。短所を矯正して長所を伸ばして、気付いたら上がった。という感じにしたいです」
―以前、「自分が完投して、根尾が本塁打を放ち、2人でお立ち台に立つのが夢」と話していたが。
「1試合でも1軍のマウンドに立つのが大きなステップ。まずはそこを目標に、どんどん成長していきたいです」
◆垣越建伸(かきごし・けんしん)2000年4月3日、岐阜・高山市生まれ。18歳。小3で本格的に野球を始める。高山市立中山中入学と同時に飛騨高山ボーイズに入団。山梨学院では17年夏と18年夏に甲子園出場。最速146キロ。持ち球はスライダー、カットボール、カーブ、チェンジアップ。血液型B。趣味はスポーツ観戦。左投左打。184センチ、96キロ。
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中日の指名挨拶を受けて垣越のコメント
中日ドラフト1位の根尾昴と中学時代に岐阜・飛騨高山ボーイズでチームメートだった垣越は、
「一緒のチームになれたな」とLINEで連絡をとりあったと明かした。
尊敬する選手には「根尾昂」の名を挙げる。
「誰よりも練習しようとする気持ちとか、常に野球を第一に考える昴はすごいなと思っていました」と話した。
<中日>ドラフト結果一覧
◆支配下
1位 根尾 昂(大阪桐蔭高)内野手
2位 梅津 晃大(東洋大)投手
3位 勝野 昌慶(三菱重工名古屋)投手
4位 石橋 康太(関東一高)捕手
5位 垣越 建伸(山梨学院高)投手
6位 滝野 要(大阪商業大)外野手
以降 選択終了
育成枠 選択なし
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ドラフト会議・山梨学院 垣越建伸のコメント
中日からドラフト5位指名。最速146キロの本格左腕。
同じく1位指名を受けた根尾昂とは飛騨高山ボーイズ時代以来、4年ぶりにプロで再びチームメートになる。
「中学を卒業するときに、また同じチームで野球したいなと話していた。それが本当に実現してうれしい」
目標とする選手に根尾を挙げるなど「常に近くて大きな存在」と野球人生で常に追いかけていた存在だったという。
「山本昌さんのような偉大な投手になりたい。空振りを取れて、直球で押せる選手になりたい」
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飛騨高山ボーイズの指導者が語る
飛騨高山ボーイズ・田中秀治代表
飛騨高山ボーイズ・黒木博也ヘッドコーチ
Q.根尾選手を指導したというのはどんな気持ちなのでしょう?
田中代表:「僕は指導してません(笑)」
黒木コーチ:「ベンチはいってましたけど、ほとんど指導しなくて済んだので(笑)」
黒木コーチ:「まさか同じ(チーム)になると思わなかった。何かの縁なのかなって」
垣越選手について
黒木コーチ:「(根尾選手と)真逆だと思います」
田中代表:「正反対なんで、練習嫌いだったし、走るの嫌いだったし」
Q.ムードメーカーのような?
田中代表:「サボりメーカー(笑)」
Q,2人はライバルみたいな感じだったのですか?
田中代表:「ライバルじゃないね」
黒木コーチ:「根尾がすごすぎて…」
田中代表:「垣越が根尾に憧れてる感じが強かったかな」
田中代表:「根尾くんの方がすごくて彼(垣越)が目立たない」
黒木コーチ:「垣越は高校に行ってから活躍する根尾の姿を見て奮起して伸びたんじゃないかな」
田中代表:「体が大きいのでどう変わるかと思ってたけど、ここまで変わったのは驚き」
黒木コーチ:「根尾がいなかったら垣越はあんな風になってなかったんで(笑)」
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根尾と元チームメイトの垣内
山梨学院の垣越建伸(背番号1・3年生)。あの大阪桐蔭の根尾とは、中学時代に所属した飛騨高山ボーイズでチームメイト。当時は、根尾に次ぐ2番手投手だった。
垣越は、「一番目標にしていた選手と同じ舞台に立てた。気持ち的には全球真っすぐでいきたいぐらい。150キロを出したい」と語る。
夏の山梨大会では、自己最速の146キロを記録。9者連続三振を取るなど活躍した。
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奪三振率は驚異の15.6
山梨大会での山梨学院は、勝負どころの後半にエースが登板し、逃げ切るのが“勝ちパターン”。垣越は、先発1試合、救援3試合で計15回を投げて自責点1。
26三振を奪い、奪三振率(9回を投げたと換算した場合の三振数)は15・60と驚異の数字をたたき出した。
最速は146キロ、丸太トレーニングで下半身強化
入学時の球速は130キロ台中盤。走り込みに3年間、弱音を吐くことなく取り組み、7−12キロの丸太を抱える同校名物“丸太トレ”で下半身を鍛え、飛躍。エースの証しである背番号1をつかんだ。
長崎・清峰時代にセンバツを制覇(09年)した吉田洸二監督の信頼も厚い。
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垣越建伸のプロフィール・出身
- かきごし・けんしん
- 2000年4月3日生まれ。
- 岐阜県出身。高山市立北小1年から北アルファードで野球を始める。
- 中山中では飛騨高山ボーイズに所属し、県大会準優勝。山梨学院では2年春にベンチ入り、同秋からエース。
- 左投げ左打ち。
- 1メートル83、93キロ。
ドラフト会議で中日ドラゴンズが指名検討
中日ドラゴンズが、山梨学院・垣越建伸投手(3年)の上位指名を検討。こちらも、恋人・根尾とのつながりが強く、飛騨高山ボーイズ時代の僚友。2年夏と3年夏の甲子園に出場し、ともに初戦で敗退したが、最速146キロの本格派左腕。元エースの川上憲伸と同じ「ケンシン」の名も竜党の注目を集めそうだ。
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