HONDA鈴鹿・平尾奎太、難病抱えて|大阪桐蔭出身
(2018ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう – TBSテレビで特集)
ホンダ鈴鹿 平尾奎太、ドラフト指名されず
「今年はなかなか結果が残せなかった。でもやりきった2年間でした。選ばれることを祈っていたけど残念です。悔しい気持ちはやっぱりある。認めてもらえるだけの力がなかったということ」
「たとえプロじゃなくても勇気を与えることはできます。その気持ちは引き続き持ちながら、来年も頑張っていきたいです。1年目かそれ以上の成績を残さないと」
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HONDA鈴鹿・平尾奎太のプロフィール
HONDA鈴鹿・平尾奎太は、名門・大阪桐蔭出身。
2年生春からベンチ入りした逸材である。
平尾は、12年に春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭の優勝メンバー。
同級生には藤浪や、現オリックスの沢田圭佑がおり、彼らの影に隠れた3番手だった。
この平尾、野球人生が暗転する出来事が起きた。
高校2年の秋に難病を発症。秋、背番号「18」を着けてベンチ入りするはずが、一転、国の難病に指定される「IGA腎症」を患っていることが判明。
医師からは絶対安静と、野球を続けることは無理だと告げられたというが、「死んだっていいから野球を続けたい」と母に強く訴えた。医師に懇願し、投薬を続けながら翌1月に寮に戻った。
その日から息子の夢をかなえるため、親子二人三脚の闘病生活が始まったという。
その結果、最終学年の3年生の時には、春夏甲子園連覇。平尾は、背番号「11」を着けてベンチ入り。
連覇を成し遂げた直後、再び闘病生活に入り、同志社大学進学後も2年間は治療に専念。実は、平尾の父も東北高、大商大を経て社会人のNTT北陸で11年間活躍した野球人である。
「野球を続けられたのは、支えてくれた両親のおかげです。プロになっていい報告がしたい」と語る。
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平尾奎太 プロフィール
- 生年月日 1994年6月21日(24歳)
- 188cm 90kg
- 大阪 出身
- 泉佐野レッドスターズ(泉佐野第一小) – 佐野中 – 大阪桐蔭高 – 同大 – Honda鈴鹿
泉佐野第一小2年時から泉佐野レッドスターズで野球を始め、府大会優勝、近畿大会準優勝。佐野中(軟式)では府大会4強。大阪桐蔭高では2年春からベンチ入りし、3年春夏の甲子園では背番号11で連覇。同志社大学では病気が完治した3年春から登板し、関西学生リーグ通算8勝。4年秋には4勝を挙げてベストナイン受賞。Honda鈴鹿では入社1年目から公式戦のマウンドにあがる。2017年夏の都市対抗では先発、救援で2試合、14イニング無失点(11奪三振)の好投。